
妻は鏡の前で顔パックを貼っていた。
夜、つーちゃんが眠る前のひととき。
妻は鏡の前で顔パックを貼っていた。
カピーこの時間だけは、ちょっとだけ自分に戻れるんだ
そう言って笑う妻を、つーちゃんは不思議そうに見つめる。
そして次の瞬間、小さな手がパックをつまんだ。



こら、ダメダメ
妻は笑いながら、そっとその手を握る。



つーちゃんには必要ないよ。ママはね、つーちゃんみたいなツルツルのお肌になりたくて頑張ってるの
もちろん意味なんて分からない。
それでも、つーちゃんはニコニコ笑って、またパックをはがそうとする。
その光景を少し離れたところから眺めていた私は、妙にうらやましくなった。
つーちゃんは、お母さんが大好きだ。
だから近づく。
だから触りたくなる。
その「特別」が、少しだけうらやましかった。
翌日、私は人生で初めて顔パックを使った。
美容に興味があったわけではない。
ただ、あの小さな手が自分にも伸びてくれたら――そんな子どもみたいな理由だった。
鏡の前でぎこちなくパックを貼る。
妻は笑いをこらえながら、



本気なの?



本気や
私は胸を張った。
つーちゃんは、こちらを見た。
一瞬だけ目が合う。



よし
心の中でガッツポーズをした。
だが、次の瞬間。
ぷいっと向きを変え、そのままハイハイでお母さんのほうへ行ってしまった。
私の前を、何事もなかったように通り過ぎて。



あれ……?
思わず苦笑いがこぼれる。
妻は笑いながら言った。



つーちゃんが好きなのは、顔パックじゃないよ



うん……



ママだから
その一言に、少しだけ胸が痛んだ。
けれど、不思議と悔しくはなかった。
赤ちゃんにとって母親は、生まれたときから世界そのものなのだ。
十か月、おなかの中で守り続けた時間は、私にはどう頑張っても追いつけない。
だから今は、それでいい。
いつか歩けるようになって、転んだとき。
いつか泣きながら「パパ」と手を伸ばしてくれる日が来るかもしれない。
その日まで私は、何度でも空回りしよう。
笑われてもいい。
相手にされなくてもいい。
父親という役は、最初から主役じゃないのかもしれない。
それでも、つーちゃんが笑って育ってくれるなら、その物語の端っこに立っているだけで十分幸せだと思えた。


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